監督:クリント・イーストウッド
出演:スペンサー・ストーン、アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、ジュディ・グリア、ジェナ・フィッシャー、レイ・コラサーニ、マーク・ムーガリアン、イザベラ・リサチャー・ムーガリアン、クリス・ノーマン
原題:The 15:17 to Paris
制作:アメリカ/2018
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/
場所:109シネマズ菖蒲

87歳になったクリント・イーストウッドが繰り出した新たなる一手は、実際の事件に巻き込まれた当事者本人に自分自身を演じさせて、その事件を描く映画を撮ることだった。つまり、広い意味で云えばドキュメンタリー映画だった。

2年に1度の山形国際ドキュメンタリー映画祭に行くと、いつも考えるのは「ドキュメンタリー」の定義だ。どこまでが「ドキュメンタリー」で、どこからが「フィクションのドラマ」なんだろう? 2015年のロバート&フランシス・フラハティ賞を獲ったペドロ・コスタの『ホースマネー』はドキュメンタリーと云えるんだろうか? 2017年のコンペティション部門の中でも、自殺した姉の生涯を様々な国の素人に演じさせたエスター・グールド監督の『自我との奇妙な恋』はドキュメンタリーと云えるんだろうか?

原一男は『ゆきゆきて、神軍』の撮影のときに、奥崎謙三から「いまの演技はどうだった?」と聞かれたと云う(2013年10月14日、山形グランドホテルでの原一男、崔洋一、ヤン・ヨンヒ、入江悠の対談より)。つまり、人はカメラを向けられた時点で少なからず格好をつけるもので、そこに若干の脚色が入り込むのを排除しようがない。でも、被写体がちょっと格好をつけたからと云ってもそれもその人のスタイルの一つで、架空の設定で特定のキャラクターを演じるわけでなければフィクション映画になるわけじゃない。事実が逸脱されない程度に脚色されるだけだ。

となると、ドキュメンタリー映画と「事実を元にした映画」の境界線が微妙になってくる。どれだけ大きく脚色されるかにかかってくるのかなあ。

なんてことをつらつらと考えていたことから総合するとクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』は素晴らしいドキュメンタリー映画だとおもった。本人たちの自分自身を演じる演技も素晴らしいし、事件に関わったそれぞれの人びとのおもいを映画的な手法を屈しして浮かび上がらせることにも成功しているし。

クリント・イーストウッドはどうしてこんなに素晴らしいんだろう。いつまでも長生きしてほしい。

→クリント・イーストウッド→スペンサー・ストーン→アメリカ/2018→109シネマズ菖蒲→★★★★