監督:ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート
出演:ミシェール・ヨー、キー・ホイ・クァン、ステファニー・スー、ジェニー・スレイト、ハリー・シャム・ジュニア、ジェームズ・ホン、ジェニー・スレイト、ジェイミー・リー・カーティス
原題:Everything Everywhere All at Once
制作:アメリカ/2022
URL:https://gaga.ne.jp/eeaao/
場所:109シネマズ木場

「マーベル・シネマティック・ユニバース」の最新作『アントマン&ワスプ:クアントマニア』は、量子世界に加えてマルチバースの概念が加わって来た。『スパイダーマン:スパイダーバース』『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』に続いてのマルチバース世界の採用で、またかよ、な感じがしないでもなかった。

マルチバース(多元宇宙論)とは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説。宇宙が一つではないと考える理由は仮説によってさまざまで、それは単に距離による説明のものだったり、「泡宇宙モデル」だったり、「多世界解釈(エベレット解釈)」だったりと、ひとつの概念によるものではないことが調べていてわかってきた。

そんな中で「マーベル・シネマティック・ユニバース」に代表されるようなSF映画のマルチバースとは、本格的な理論をちょこっと拝借して、ストーリーに都合の良い解釈にして、派手に面白おかしく展開するための素材にすぎなかった。

ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート監督の『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』もまたマルチバース世界のはなしだった。でも「マーベル・シネマティック・ユニバース」の映画とは一線を画していて、もっと人の情緒に訴えるためにマルチバースの理論を使っていた。

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でのマルチバースとは、おそらく「多世界解釈(エベレット解釈)」を採用しているようにみえる。

「多世界解釈(エベレット解釈)」とは、1957年に観測物理学者のヒュー・エレベット氏が提唱したもので、マクロな私たちの現実は異なる宇宙の重ね合わせであるという考え方。この多世界解釈の中では、私たちが一つひとつの選択を行うたびに宇宙は分岐して異なる現実が生まれるが、自分が知覚できる現実は自分の生きている現実だけ。
参考:https://ideasforgood.jp/glossary/multiverse/

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の主人公エヴリン(ミシェール・ヨー)はコインランドリーを経営する女性。IRS(アメリカ合衆国内国歳入庁)へ行って、いくらかでも経費を認めてもらおうと奮戦している。そんななか、優しいけれど頼りがいのない夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)が突然変貌し、エヴリンはマルチバースへの脅威となるジョブ・トゥパキに対抗できる人物だと告げる。

そんな大それた人物であることを信じられないエヴリンは、変貌した夫ウェイモンドに付けられた装置によって、さまざまな人生の可能性を見せられる。彼女の人生のときどきの選択によって大女優になっていたかもしれないし、パフォーマンスをする料理人だったかもしれないし、京劇の役者だったかもしれないし、ソーセージ指の世界の住人であったかもしれない(これだけは人生の選択とは違うような?)。これはまさしく「多世界解釈(エベレット解釈)」に見える。

でも、マルチバース間を移動することはできないと(現在のところは)考えられているので、そのあたりの描写はだいぶコミカルにしている。移動をするためには、誰もが想像だにしない行動をしろ、なんてちょっとドタバタコメディにしている。まあ、あんまり笑えなかったけれど。
参考:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD10CIA0Q2A510C2000000/

ちょっと長すぎる映画ではあったけれど、エヴリンの人生の選択において、IRSへの対応はこれで良いのかと云う些細な選択から始まって、彼女にとってのもっと大きな選択、この夫で良かったのか、娘への対応は間違っていなかったのか、にまで大きく広げて、でもすべての可能性を重ね合わせて存在している今の自分が最高なのだと、最高のヒーローなのだと帰結させる流れは観ていて清々しかった。

いまの過度な、強迫的とも云える多様性の流れを受けて、今回は中国系の年としてアカデミー賞をいろいろと取りそうだけれど、そんな馬鹿げた評価を抜かしても良い映画だった。

→ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート→ミシェール・ヨー→アメリカ/2022→109シネマズ木場→★★★★