ハッピーアワー

監督:濱口竜介
出演:田中幸恵、菊池葉月、三原麻衣子、川村りら、申芳夫、三浦博之、謝花喜天、柴田修兵、出村弘美、坂庄基、久貝亜美、田辺泰信、渋谷采郁、福永祥子、伊藤勇一郎、殿井歩、椎橋怜奈
制作:神戸ワークショップシネマプロジェクト/2015
URL:http://hh.fictive.jp/ja/
場所:シアター・イメージフォーラム

濱口竜介監督による「即興演技ワークショップ in Kobe」から生まれたこの映画は、主人公となる4人の女性も含めたすべての人に演技経験がなく、5ヶ月間の演技ワークショップを受けただけで撮影された映画だった。だから、それぞれの役者の演技はとてもつたない。プロの演技ではまったくなくて、表現力はまったくない。でも、セリフに抑揚がなくても、表情の変化に乏しくても、その演技を真正面から捉えた長回しのシーンの連続によって、この映画の世界が充分に成り立って行っている。これは小津安二郎やロベール・ブレッソンの映画を見た時にも感じたことだけど、映画における役者の演技と云うものは音楽や小道具や衣装と同じように一つのパーツに過ぎなくて、映画が作り出そうとしている世界にそれが巧くはまっていれば、過剰に演劇的な芝居も必要なく、ドキュメンタリー風の自然な佇まいもまったく必要ない。『ハッピーアワー』が作り出したぎこちない演技の世界にはまりこんで、総尺5時間17分もの長さをまったく感じることはなかった。

メインとなる4人の女性の性格がしっかりと描き分けられている部分にも驚いた。キャラクターの設定を明確に打ち出すには演技によるところがずいぶんと大きいと今までずっとおもって来た。ところが『ハッピーアワー』ではそれが充分になされている。もちろん長尺によるところも大きいのだろうけど(この映画は長尺以外にあり得ないのだろうけど)、シナリオにおける人間関係とセリフがしっかりと書き込まれていれば演技は二の次になることがよくわかった。

イングマル・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』(5時間40分)やフレデリック・ワイズマンの『臨死』(5時間58分)の時もそうだったけど、長い映画にはまりこむとそこからなかなか抜け出せなくなる。『ハッピーアワー』の「あかり」や「純」や「桜子」や「芙美」の顔がふと気が付くと今でも脳裏によみがえって来る。ああ、これはパッケージが欲しいな。Blu-rayになるんだろうか。

→濱口竜介→田中幸恵→神戸ワークショップシネマプロジェクト/2015→シアター・イメージフォーラム→★★★★

アンジェリカの微笑み

監督:マノエル・デ・オリベイラ
出演:リカルド・トレパ、ピラール・ロペス・デ・アジャラ、レオノール・シルベイラ、ルイス・ミゲル・シントラ、アナ・マリア・マガリャーエス、イザベル・ルト、サラ・カリーニャス、リカルド・アイベオ、アデライデ・テイシェイラ
原題:O Estranho Caso de Angélica
制作:ポルトガル、スペイン、フランス、ブラジル/2010
URL:http://www.crest-inter.co.jp/angelica/
場所:ルシネマ

ポルトガルのマノエル・デ・オリベイラ監督が昨年の4月に106歳で亡くなった。その前の年の105歳で『レステルの老人』を完成させて、まだまだ最高齢監督として映画が撮れるんじゃないかとおもっていた矢先だった。おそらくその追悼の意味も込めて、2010年に作られた『アンジェリカの微笑み』が公開されることになった。

『アンジェリカの微笑み』を観ているうちに、これは日本の怪談噺だなあ、とおもって、帰ってからネットを検索したら、そのことに言及している人がたくさんいた。でも、「牡丹燈籠」や「雨月物語」よりも、もっとぴったり似ているストーリーがあったような気がするけど、それがいったい何だったかのかまったく思い出せない。

101歳の時に撮った映画であることを考えると、やはりそこにはマノエル・デ・オリベイラ監督自身の死生観が色濃く反映されているような気がする。「死」と云うものは、できることならこの映画のような甘美なものでありたいなあ。「死」を拒絶するのではなくて、「死」に取り込まれたい!

→マノエル・デ・オリベイラ→リカルド・トレパ→ポルトガル、スペイン、フランス、ブラジル/2010→ルシネマ→★★★☆

恋人たち

監督:橋口亮輔
出演:篠原篤、成嶋瞳子、池田良、光石研、安藤玉恵、木野花、黒田大輔、山中聡、内田慈、山中崇、リリー・フランキー、岡安泰樹、水野小論、大津尋葵、川瀬絵梨、高橋信二朗
制作:松竹ブロードキャスティング/2014
URL:http://koibitotachi.com
場所:丸の内TOEI

キネ旬ベスト10の1位になるような映画は、昨年の1位となった『そこのみにて光輝く』のような辛気臭い映画なんじゃないかと云う危惧はあったのだけれど、それにしては絶賛する人が多く、もしかすると当たりなんじゃないかと期待を込めて観に行ったら、これがまさしく当たりだった。

まず、無名に近い俳優の篠原篤や成嶋瞳子がとても良かった。特に、成嶋瞳子! こんなことを云っちゃあ悪いんだけど、スクリーンの被写体としてはまったく見栄えのしないぼやけた顔の成嶋瞳子が主人公であることに戸惑ってしまって、さらに光石研に乳首を弄ばれるは、野原でションベンをするは、腋毛処理をアップで見せられるは、こんなシーンをどんな顔をして見ればいいんだよ、とどんどんと呆れ果てて行って、気持ちがどんよりと最低のところまで落ち込んだところでハッと気が付いた。いやいや、これはもしかするとすごい映画だ。綾瀬はるかや堀北真希は現実じゃないんだ、成嶋瞳子こそが現実なんだ! と妙に納得してしまって、精一杯に着飾って、化粧をして、その顔がアップになったらまるで昔の公家のような顔になってしまって、ああ、なんて酷いんだろう、でもこれで大好きな皇室に一歩でも近づいたんだね、ああ良かった、良かった、とうっすらと目に涙さえ溜まるほどに感動してしまった。これはいったい何だろう。キレイなおねーちゃんばっかりしか出てこない日本映画に反発しているところに感動してしまったのか。

役者の演技を正面からしっかりとカメラに収めているところも良かった。篠原篤の殺された妻への想いを語るシーンや、成嶋瞳子の大好きな雅子さまへの思いを語るシーンや、池田良の切れてしまった携帯電話に告白し続けるシーンなど、どれもキャラクターの設定が色濃く反映されているシーンで、篠原篤が「怒」ならば、成嶋瞳子が「憧」で、池田良は「忍」と、三者三様に色分けられている構成がとても素晴らしかった。

光石研や安藤玉恵をはじめとする脇も素晴らしく、特に自暴自棄になる篠原篤をいさめる黒田大輔のキャラクターが、鋭角になりすぎる映画に丸みを与えていて、「腹いっぱい食べて笑ってたら、人間なんとかなるからさ」のセリフは、篠原篤と同じように迷走し始めた成嶋瞳子と池田良にも向けられているようで、ささやかなハッピーエンドに終結して行くきっかけを与えているように見えて、まるで天使のささやきにさえ見えてしまうほどだった。

コミックやラノベの映画化を全面的に否定するものじゃないけど、このような映画があってこそ、だよなあ。人間をしっかりと撮っている日本映画をもっと見たい!

→橋口亮輔→篠原篤→松竹ブロードキャスティング/2014→丸の内TOEI→★★★★

マイ・ファニー・レディ

監督:ピーター・ボグダノヴィッチ
出演:オーウェン・ウィルソン、イモージェン・プーツ、キャスリン・ハーン、ウィル・フォーテ、リス・エヴァンス、ジェニファー・アニストン、オースティン・ペンドルトン、ジョージ・モーフォゲン、シビル・シェパード、リチャード・ルイス、シドニー・ルーカス、デビ・メイザー、イリーナ・ダグラス、ジェニファー・エスポジート、クエンティン・タランティーノ、テイタム・オニール
原題:She’s Funny That Way
制作:アメリカ/2014
URL:http://www.myfunnylady.ayapro.ne.jp
場所:新宿シネマカリテ

ひとむかし、名画座でしか古い映画が観られなかったころ、さかんにピーター・ボグダノヴィッチの『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』がかかっていた。その内のとくに『ラスト・ショー』は、閉塞感漂う暗い青春群像が当時の自分とぴったりと重なって、まさにピーター・ボグダノヴィッチ=青春のような意味合いを持つようになってしまった。いまでも『ラスト・ショー』を見れば、主人公のティモシー・ボトムズに当時の自分を重ねて見てしまって、センチメンタルな気分に浸れてしまう。

その後のピーター・ボグダノヴィッチは、『ラスト・ショー』のような特別な感情を持つことができる映画を作らなくなってしまって、やはり彼も『ラストショー』を引きずってんだな、とおもわずにはいられない続編の『ラストショー2』以外は追いかけなくなってしまった。

そんな彼の映画で、久しぶりに観ようと気を起こさせてくれたのが今回の『マイ・ファニー・レディ』だった。映画オタクの彼らしく、セリフに昔の映画の引用があったり、やはり映画オタクのクエンティン・タランティーノを出演させたり、『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』に出演していたシビル・シェパードやテイタム・オニールを出演させていたりと映画愛あふれる映画になっていた。でも、シチュエーションや音楽の使い方など、どこからどう見てもウディ・アレンの映画にしか見えなかった。それも、出来の悪いウディ・アレンの映画。ところどころは笑えても、ドタバタを畳みかけての笑いの相乗効果があまりにも下手だった。これはウディ・アレンに対してオマージュを捧げていると捉えて良いんだろうか。

→ピーター・ボグダノヴィッチ→オーウェン・ウィルソン→アメリカ/2014→新宿シネマカリテ→★★★

今年、劇場で観た映画は全部で72本(山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た11本を含む)。
その中で良かった映画は以下の通り。

毛皮のヴィーナス(ロマン・ポランスキー)
フォックスキャッチャー(ベネット・ミラー)
インヒアレント・ヴァイス(ポール・トーマス・アンダーソン)
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ)
ジミー、野を駆ける伝説(ケン・ローチ)
セッション(デミアン・チャゼル)
ベルファスト71(ヤン・ドマジュ)
アクトレス 〜女たちの舞台〜(オリヴィエ・アサヤス)
裁かれるは善人のみ(アンドレイ・ズビャギンツェフ)
雪の轍(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン)

本当はフレデリック・ワイズマンの『臨死』がダントツなんだけど、旧作なので除外しました。

独裁者と小さな孫

監督:モフセン・マフマルバフ
出演:ミシャ・ゴミアシュビリ、ダチ・オルウェラシュビリ、ラ・スキタシュビリ、グジャ・ブルデュリ、ズラ・ベガリシュビリ、ラシャ・ラミシュビリ
原題:The President
制作:ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014
URL:http://dokusaisha.jp
場所:新宿武蔵野館

中央アジアあたりにあるらしい独裁的な政治を行っている国の大統領が、民衆の蜂起によって孫と一緒に国を追われる道中で、自分の圧政によって疲れ果てた国民たちを目の当たりにして次第に人間の心を取り戻して行くストーリー。

予告編でこのストーリーを聞かされて、おー、なかなか面白そうな映画じゃないか、と期待感がマックスに高まってしまった所為なのか、もう一歩の踏み込みの足り無さが目に付いてしまって、うーん、な映画になってしまった。考えてみれば、この独裁的な大統領に感情を移入できる部分はどこにもなくて、観客の感情を安易に移入させることができるツールとしての子供をダシに使ったとしても、そこには相乗効果として何のプラスも起こらなくて、どちらかと云うと子供のウザさしか感じられないようなマイナスな効果しかもたらしていたんじゃないかとおもえるほどだった。やはりこの映画のキーワードは「マリア」で、無垢なマリアと娼婦のマリアが聖母マリアとマグダラのマリアを暗喩していて、二人のマリアによって大統領と孫の死が聖人へと昇華して行くような宗教的で壮大なラストを用意して欲しかった。

→モフセン・マフマルバフ→ミシャ・ゴミアシュビリ→ジョージア、フランス、イギリス、ドイツ/2014→新宿武蔵野館→★★★

007 スペクター

監督:サム・メンデス
出演:ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、デビッド・バウティスタ、アンドリュー・スコット、モニカ・ベルッチ、レイフ・ファインズ
原題:Spectre
制作:イギリス/2015
URL:http://www.007.com/spectre/?lang=ja
場所:109シネマズ菖蒲

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる新生007シリーズは、前作の『007 スカイフォール』が素晴らしかったサム・メンデスが監督を続投して、さあ、どんなに華々しくジェームズ・ボンドに対抗すべく悪の組織「スペクター」が復活するのかと過剰な期待を寄せてしまったのが悪かったのかどうもイマイチな内容の映画だった。やはりここは古き良きショーン・コネリー版の007シリーズにあったような滑稽なまでにデフォルメ化された悪の組織が新シリーズのリアリズムと融合して、馬鹿馬鹿しくも残酷な『ダークナイト』のジョーカーのようなダーティヒーローの登場を期待したのがいけなかった。そこに現れたのが小悪党にしか見えないクリストフ・ヴァルツだったので腰砕けしてしまったのだ。

ボンドガールとしてのレア・セドゥも弱いよなあ。悪党も弱くて、ボンドガールも弱ければなかなか007映画としては成立しにくい。せめてもの救いはQの作る秘密兵器が復活したくらいか。009のために用意された「アストンマーチン・DB10」の運転席に「バックファイヤー」「噴射」「エアー」と一緒に「環境」と云うボタンがあって、それを押すと009の愛用曲「New York,New York」が流れるシーンがこの映画の最大のハイライトだった。

→サム・メンデス→ダニエル・クレイグ→イギリス/2015→109シネマズ菖蒲→★★★

ギャラクシー街道

監督:三谷幸喜
出演:香取慎吾、綾瀬はるか、小栗旬、優香、西川貴教、遠藤憲一、段田安則、石丸幹二、秋元才加、阿南健治、梶原善、田村梨果、浅野和之、山本耕史、大竹しのぶ、西田敏行、佐藤浩市
制作:フジテレビ/2015
URL:http://galaxy-kaido.com
場所:109シネマズ木場

三谷幸喜の良さは、あるシチュエーションに放り込まれた人たちが右往左往するさまをいろんな角度から切り取ってコンパクトにテンポよく錯綜させながら畳みかけるように展開して行って最後には大団円を迎える、ってところだったとおもう。少なくとも東京サンシャインボーイズの劇はそうだったし、テレビドラマも「王様のレストラン」がそうだったし、映画も『ラヂオの時間』がそうだった。最近でも、WOWOWのドラマ「大空港2013」は素晴らしかったし、映画だって、成功しているとは云いがたいけど『ザ・マジックアワー』も『ステキな金縛り』もそこにしっかりと向かっていた。でも、『清州会議』もこの『ギャラクシー街道』も、その三谷幸喜の良さは皆無だった。まっるきりの「無」だった。いや、『ギャラクシー街道』はその匂いが感じられるぶん、なおさらたちが悪い。もっとしっかりと練れば良い映画になっていたはずなのに。

ひとつだけ、宇宙コールガールのようなものを演じた田村梨果(ミラクルひかる)は良かった。映画を見ている最中は、この女優はいったい誰だ? とずっとおもっていたけど、ネットで調べたらミラクルひかるだった。ミラクルひかると云えば、これをおもい出す。

→三谷幸喜→香取慎吾→フジテレビ/2015→109シネマズ木場→★☆

雪の轍

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ハルク・ビルギナー、メリサ・ソゼン、デメット・アクバァ、アイベルク・ペクジャン、セルハット・クルッチ、ネジャット・イシレル
原題:Kis Uykusu
制作:トルコ、フランス、ドイツ/2014
URL:http://bitters.co.jp/wadachi/
場所:ギンレイホール

『雪の轍』は第67回カンヌ国際映画祭のパルムドール大賞を獲った映画。3時間16分もの長尺なので一度はパスした映画だったけれど、自分の回りでの評判がなかなか良いので、二番館(なんて言葉はもう死語かもしれない)のギンレイホールまで追いかけた。

登場人物は、トルコのカッパドキアにある洞窟ホテルを運営する夫婦アイドゥンとミハル、そしてアイドゥンの妹ネジラ。さらに彼らが貸している家に住む兄弟のイスマイルとハムディが絡んで、元俳優で今は地方新聞にコラムを書いているアイドゥンを中心とした確執が展開して行く。

映画の中での会話劇が大好きなので、アイドゥンとネジラ、アイドゥンとミハル、アイドゥンとイスマイルやハムディとの言葉だけでやり合うシーンがとても面白かった。裕福で人格者に見えるアイドゥンの人間性を根拠の無いまま信頼して、彼の肩を持って喧嘩のシーンを見守る序盤から、徐々にその言葉の端々に、おや? が積み重なって行って、最後には彼と決別せざるを得なくなってしまう構成も素晴らしい。

とは云え、妹のネジラや妻のミハルの売り言葉に買い言葉の言動も信頼することは出来ず、イスラム教の導師と呼ばれているハムディに対しても影でアイドゥンに悪態をつくシーンからまったく信用できず、もちろん粗野なイスマイルからは暴力しかイメージできなくて、登場人物の誰に対してもより所を見つけれないまま3時間も見続けなければならない映画はなかなか辛い。特にアイドゥンと妹のネジラとの喧嘩のシーンはいったい何分あるんだろう。この言葉だけの闘いはイングマル・ベルイマンの『秋のソナタ』の中のイングリッド・バーグマンとリヴ・ウルマンの親子喧嘩を思い出させるほど壮絶なもので、そのシーンが終わったときには頭がクラクラした。アイドゥンが妻のネジラを言葉だけで完膚無きまでに打ちのめすシーンも、男がここまで言葉巧みに細かく女を攻撃し続ける映画をあまり見たことがない。どちらかと云うと女性が行うような攻撃性をアイドゥンに見て、とても不愉快になる男は多いとおもう。

面白い映画だけど、見終わったあとにヘトヘトになる映画だった。

→ヌリ・ビルゲ・ジェイラン→ハルク・ビルギナー→トルコ、フランス、ドイツ/2014→ギンレイホール→★★★★

私はクルマの免許を持っていない。持っていないと言うことは、つまり、クルマの運転にはまったく興味がない。でも、クルマのデザインには少しばかり興味があって、映画の中に出て来る古いクルマのデザインには興味津々だ。

最近のクルマのデザインは、どれもこれもみんな似たようなデザインばかりでまったく面白くない。それは、走りやすさや燃費の良さなどを研究し続け、それを突き詰めた空気力学的なデザインの結果なので、どのメーカーも同じデザインに集約されて行ってしまうことは仕方がないことだとはわかっている。わかっているけれども、でもやっぱり面白くないのは気に入らない。その点、昔のクルマは自由に見えてしまう。もちろん、その当時としても、走りやすさや燃費の良さを追求していたんだろうけど、まだまだ未熟だった点がデザインに自由さを与えていた。

クルマに興味のなかった自分にクルマの美しさを教えてくれたのは、宮崎駿監督のアニメーション『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)だった。ルパン三世と次元大介の乗るフィアット500。そこに現れるクラリスの乗るシトロエン2CV。それを追いかける悪党一味のハンバー・スーパー・スナイプ。

この中でもクラリスの乗るシトロエン2CVに目を瞠った。

なんて美しいんだろう!

特に、お尻の、グッと急激に落ち込むカーブが美しい。
横から見ると、リアホイールのカバーも同じように半円を描いてリアバンパーへと向かっている。その二つのカーブがコラボレートした優雅さが何とも言えない。

シトロエン2CV

シトロエン2CVは、フランスの“農民車”として構想され、その基本コンセプトは、

「雨傘(こうもり傘)の下に4つの車輪をつけたもの」

であり、

「木靴をはいた農夫が2人と50kgのじゃがいも、もしくはワイン樽を積んで、60km/hで走れること。3リッター/100km(33.3km/リッター)の燃費。どんな悪い道も走破できること。悪路を走っても、後部に積んだ、かごいっぱいの卵が一個も割れないこと」
(「シトロエンの世紀 革新性の追求」武田隆著、三樹書房より)

だったそうだ。

つまり、『ルパン三世 カリオストロの城』では、追うカリオストロ伯爵側がイギリスの高級車ハンバー・スーパー・スナイプだったのに対して、追われるクラリスはジャンヌ・ダルクのごときフランスの“農民車”シトロエン2CVで、さらにそれを追うルパン三世たちは伊達男!イタリアの“国民車”フィアット500と言う構図だった。このあたりの、ぴったりとはまった構図の気持ち良さも、クラリスが運転するシトロエン2CVの美しさを際立たせていた。

後に、シトロエン2CVは宮崎駿の愛車であることがわかり、いまだに乗っていることが2013年8月26日にNHKで放送された「プロフェッショナル仕事の流儀 宮崎駿スペシャル」でわかった。

もし、運転免許を取ることになったら、絶対に宮崎駿のようにシトロエン2CVに乗ろう。クーラーがなくたって、故障が多くたって、素人には手に負えないクルマだってかまわない。絶対にシトロエン2CVだ。

と思いながら、いまだにクルマの免許を取っていない。

水牛に書いた文章を転載。