アイアンマン3

監督:シェーン・ブラック
出演:ロバート・ダウニー・Jr、グウィネス・パルトロー、ドン・チードル、ガイ・ピアース、レベッカ・ホール、ステファニー・ショスタク、ジェームズ・バッジ・デール、ジョン・ファヴロー、タイ・シンプキンス、ウィリアム・サドラー、ミゲル・フェラー、ショーン・トーブ、マーク・ラファロ、スタン・リー、ベン・キングズレー
原題:Iron Man 3
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.marvel-japan.com/movies/ironman3/
場所:新宿ミラノ1

『アイアンマン』のシリーズは、クリストファー・ノーランの『ダークナイト』シリーズやサム・ライミの『スパイダーマン』シリーズに比べれば悪役の描き込みに奥行きがなくてあっさりしすぎているのがいつも不満なんだけど、でもアイアンマンのスーツ装着シーンや滑空シーン、攻撃や防御シーンにダイナミックなスピード感があるので、その部分についてだけは充分に楽しめる映画になっている。そしておそらくこの『アイアンマン』シリーズの成功によって、『アイアンマン』を軸とした他のマーベルコミックス系の映画とのクロスオーバー化を明確に打ちだしはじめたので、ひとつひとつの映画に少しぐらいの不満があっても、他の映画との繋がりに期待させて全体として楽しむような複合映画となっているところが真新しくて面白い。それは『アベンジャーズ』が成功した事によってさらに加速し、この『アイアンマン3』は『アベンジャーズ』の続編とも見えるような内容にもなっている。今後に公開予定の『マイティ・ ソー/ダーク・ワールド』や『キャプテン・アメリカ/ザ・ウィンター・ソルジャー』、『アベンジャーズ2』の予告編を『アイアンマン3』のエンドクレジットが終わった後にまで見せることが示しているように、これらすべてがクロスオーバー化したマーベルコミックスムービーとして今後は展開して行くのだとおもう。それはそれで面白い試みで、今後はこれらのクロスオーバーを見たいがために他の映画を追いかけてしまうのかもしれない。それは『『マイティ・ ソー』や『キャプテン・アメリカ』の単体だけではあり得なかったことだ。

→シェーン・ブラック→ロバート・ダウニー・Jr→アメリカ/2013→新宿ミラノ1→★★★

さなぎ〜学校に行きたくない〜

監督:三浦淳子
出演:木下愛、木下洋子、木下節子、木下堅固、木下仁、木下綾子、木下雄介、木下美保、吉川結美、吉川和美
制作:クロスフィット、トリステロ・フィルムズ/2012
URL:http://tristellofilms.com/sanagi/
場所:東京しごとセンター5F会議室(みみの会)

不登校になってしまった子どもたちと接する機会がちょっとだけあったりするので、不登校になる理由もさまざまであることは理解しているけど、この映画に出てくる“愛ちゃん”の理由もまたちょっと特殊なパターンだった。おそらく子どもたちがたくさん集まる「学校」と云う場に身を置くことに何かしらの強迫観念を持つようになってしまって、そこへ行くこと自体がイヤになってしまったのではないかと映画を見て想像することができる。だから「学校」と云う場以外では友達となんら問題なく遊んだりすることができる。他人とのコミュニケーションには何の問題もないところが、今まで目にしてきた不登校児とはまったく異なった部分だった。

となると、何が問題なのか見た目には分かり辛く、ただ単純に怠けていると判断して、まわりの大人たちが登校を無理強いさせてしまってますます症状を悪化させてしまう場合もあるのかもしれない。世間ずれしてしまった大人たちは、まだ擦れていない繊細なこころを理解することができなくて、自分たちのありふれた行動様式だけで子どもたちを判断してしまうのかもしれない。でも、そのような繊細な心を持つことは、例えば将来に芸術分野で仕事をして行くとすればとても大切な要素であったりするので、一見マイナス要素に見えてしまう不登校と云う行為をむげに責め立てるのではなく、まわりのものが上手くコントロールしてあげることが重要だ。そのことをこの映画を観て痛感した。この映画の中の大人たちは、なんと上手く“愛ちゃん”を上手く見守ってあげているんだろう。無理強いもせず、かと云って放り出しもせず、ほどよい距離感を保っている姿勢に大変驚いてしまった。

最終的には成人した“愛ちゃん”をも映画は追いかけて行き、まわりの大人たちの適切な庇護のもとに感受性豊かなまま成長し、美術大学に進んでいる姿を映し出す。それを見て、この映画は不登校児を更生させていく姿を追いかけたドキュメンタリーと云うよりは、実際にはもっと包括的に捉えて、子育てとは何なのかを語ったドキュメンタリーであることに気が付いた。説明を抑えた表現方法は、特殊な状況をクローズアップしているわけではないことを示していた。そう考えれば、この映画の意味するところがもっと奥深く、含みが多くなるとおもう。

→三浦淳子→木下愛→クロスフィット、トリステロ・フィルムズ/2012→東京しごとセンター5F会議室(みみの会)→★★★☆

天使の分け前

監督:ケン・ローチ
出演:ポール・ブラニンガン、ジョン・ヘンショウ、ガリー・メイトランド、ジャスミン・リギンズ、ウィリアム・ルアン、ロジャー・アラム、デヴィッド・グッドール、シボーン・ライリー、フォード・キアーナン
原題:The Angels’ Share
制作:イギリス/2012
URL:http://tenshi-wakemae.jp/
場所:銀座テアトルシネマ

ケン・ローチの前作『ルート・アイリッシュ』があまりにも救いの無い映画だったので、その流れから『SWEET SIXTEEN』的な、仕事のない若い奴がもがき苦しむ映画を冒頭から予感させたけど、ストーリーは少しづづそこからズレて行って、おバカな相棒(スコットランド人なのにエディンバラ城を知らない!)がクッションとなったりして、最後は“天使の分け前”を頂戴して人生をリスタートさせる、ちょっぴりハートウォーミングな映画に仕上がっていた。

スコットランドやイングランドの社会は、おそらく日本よりも階級がハッキリと別れていて、生まれながらにして運命が決まってしまっている場合が多いのかもしれない。もしその下層から抜け出そうとするならば、並々ならぬ努力と回りからの絶大なるサポートと、そしてちょっぴり“天使の分け前”が無ければ到底無理なんだろうとおもう。この映画はそこの脱出劇をクライムサスペンスも加味して、テンポよく描いていて小気味よかった。

おバカな相棒が高級ブランデーが入っているビンを間違って割ってしまうシーンは、おもわず「わっ!」と声を上げてしまった。映画館で叫んでしまうのなんて『地獄の黙示録』で突然トラが出て来て驚いた時以来じゃないのかなあ。それだけ感情移入できた映画だった。

→ケン・ローチ→ポール・ブラニンガン→イギリス/2012→銀座テアトルシネマ→★★★★

シュガー・ラッシュ

監督:リッチ・ムーア
声:山寺宏一、諸星すみれ、花輪英司、田村聖子、多田野曜平、友近、最上嗣生、高岡瓶々、石塚運昇、堀越真己、落合弘治、岩崎ひろし、瑚海みどり
原題:Wreck-It Ralph
制作:アメリカ/2012
URL:http://www.disney.co.jp/sugar-rush/home.html
場所:ユナイテッド・シネマ浦和

最近のディズニーやピクサーのCGアニメーションは、サブキャラクターにもさまざまな設定を盛り込んで来るので、中心となるストーリーへの視点がぼやけてしまって、とても混乱した映画となってしまう場合が多い。この映画も、ゲーム「フィックス・イット・フェリックス」の悪役“ラルフ”と主人公“フェリックス”との関係に視点を置いたストーリーとおもいきや、その“ラルフ”とゲーム「シュガー・ラッシュ」の“ヴァネロペ”との関係に視点が横滑りして行って、さらにその“ヴァネロペ”と「シュガー・ラッシュ」の中の“キャンディ大王”との関係にどんどんと視点が横滑りして行ってしまう。ストーリーの柱は、“ラルフ”が悪役として存在する意味を問い質して行く部分であることには間違いないのだけれど、あまりにもそこにサブキャラクターが深く関わってくるので、そのメインの部分がどんどんと薄められてしまって、ラストで“ラルフ”が悪役キャラクターとして成長した姿を見せるシーンが充分に生きてこない。

見た目には派手で、スピード感があふれていて、まあ、楽しい映画だとはおもうのだけれど、複数のエピソードを盛り込みすぎた忙しない映画だとはおもう。でも最近は、このような情報過多の映画が観客に好まれているんだろうなあ。求められているものを作るのがハリウッド映画だろうけど、『Mr.インクレディブル』のようなキッチリとした映画がもうちょっと作られると嬉しい。

→リッチ・ムーア→(声)山寺宏一→アメリカ/2012→:ユナイテッド・シネマ浦和→★★★

コズモポリス

監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ロバート・パティンソン、ジェイ・バルチェル、ポール・ジアマッティ、ケヴィン・デュランド、ジュリエット・ビノシュ、サマンサ・モートン、サラ・ガドン、マチュー・アマルリック、K’Naan、エミリー・ハンプシャー、パトリシア・マッケンジー
原題:Cosmopolis
制作:フランス、カナダ、ポルトガル、イタリア/2012
URL:http://cosmopolis.jp/
場所:新宿武蔵野館

『コズモポリス』の公開とともに新宿武蔵野館でレイトショーされている『ザ・ブルード/怒りのメタファー』や『スキャナーズ』のころのクローネンバーグの映画は、最近の彼の映画とあまり変わらないテーマを扱っていながら視覚的なエグさにスタイリッシュな気持ちよさを感じて、例えそこで描かれていることの意味が充分にわからなくとも映画としてとても面白かった。でも、ここのところのクローネンバーグの映画は、追い求めているものは同じなのかもしれないけれど、その表現方法に視覚的な衝撃性を求めることなくセリフで延々と語り尽くすので、その語られていることの意味が理解できないとさっぱり面白くない。この『コズモポリス』も、昔の映画に見られたスタイリッシュな映像はリムジンの車内シーンとかに若干は残っているけど、生や死の対称や非対称を語ろうとしているんじゃないかとおもわれるところがセリフだけの表現ではとても辛かった。以前の映画のように、そこにもうちょっとエグい映像美が加われば何の文句も無かったのだけれど。

外の環境音がシャットアウトされたリムジンが交通渋滞によってノロノロと走り、そこにいろいろな人間が乗ってくるスタイルだけは面白かった。ジュリエット・ビノシュとのセックスシーンやサマンサ・モートンの理論担当の部下との会話シーンは良かった。これが延々と続けば良かったのに、最後は冴えないオヤジとの対決だからなあ。

→デヴィッド・クローネンバーグ→ロバート・パティンソン→フランス、カナダ、ポルトガル、イタリア/2012→新宿武蔵野館→★★★

ザ・マスター

監督:ポール・トーマス・アンダーソン
出演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、アンビル・チルダーズ、ローラ・ダーン、ジェシー・プレモンス、デヴィッド・ウォーショフスキー、レナ・エンドレ、ラミ・マレック、マディセン・ビーティ、フィオナ・ドゥーリフ、ジョシュア・クローズ、パティ・マコーマック、ケヴィン・J・オコナー
原題:The Master
制作:アメリカ/2012
URL:http://themastermovie.jp/
場所:TOHOシネマズ・シャンテ

ポール・トーマス・アンダーソンの人間に対する視点がとても変わっていて、どの映画もいつも感心させられてしまう。でもそれは、ごく普通の一般的なドラマを期待している人にとっては物凄く取っ付きにくくて、訳が分からない映画としてしか映っていないんじゃないかと勝手に心配しつつ映画館を去るのがポール・トーマス・アンダーソン映画を観たあとの習慣になってしまった。この『ザ・マスター』も今までの映画以上にさらに凄かった。精神的に疾患があるとおもわれる男とカルトの指導者との愛憎物語は、単純なホモセクシャルな愛情ではなく、親子のような愛情でもなくて、そのような一般的な愛情だけでは計ることの出来ない奇異な二人の愛憎劇がそこには映し出されていた。さらにその二人に加えて、指導者の妻と子供たちを加えた人間模様は、例えば麻原彰晃と上祐史浩とか、千石イエスと取り巻きの女たちとか、常人には理解し難い愛情関係が存在しうると云うことを見せつけてくれる。

細かい部分を確認するためにも、この映画はもう一度観たい気がする。特に、カルトの指導者(フィリップ・シーモア・ホフマン)の息子(ジェシー・プレモンス)と疑似的な息子(ホアキン・フェニックス)との関係が、後から考えるととても面白い。その実際の息子が父親の行っている“プロセシング”を「あんなのインチキだよ」とホアキン・フェニックスに語るシーンは、この映画の中でもとても重要なシーンにおもえてきた。そこだけを確認するためにも、おそらくもう一度映画館に足を運ぶとおもう。

→ポール・トーマス・アンダーソン→ホアキン・フェニックス→アメリカ/2012→TOHOシネマズ・シャンテ→★★★★

ザ・ブルード/怒りのメタファー

監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:オリヴァー・リード、サマンサ・エッガー、アート・ヒンドル、シンディ・ハインズ、ナーラ・フィッツジェラルド、ヘンリー・ベックマン、スーザン・ホーガン、ニコラス・キャンベル
原題:The Brood
制作:カナダ/1979
URL:
場所:新宿武蔵野館

レーザーディスクで『スキャナーズ』を見て衝撃を受けて以来、クローネンバーグの映画を欠かさず追いかけて来たのだけれど、それ以前の作品はDVDなどで見ようとおもえば見れたのにすっかり見逃していた。クローネンバーグの新作『コスモポリタン』の公開に合わせてレイトショーで『ザ・ブルード/怒りのメタファー』が公開されたので、これは良い機会と念願の『ザ・ブルード/怒りのメタファー』を観に行った。

人間の内面にある精神性を具現化する際に、『ヴィデオドローム』や『ザ・フライ』にも共通する受胎のイメージでもってそれが生まれてくるシーンを見て、やはりクローネンバーグの映画は、これでなくっちゃ、と痛切に感じてしまった。最近の彼の映画は、基本的なモチーフはあまり変わっていないのかもしれないけど、その表現方法が巨匠となってしまったと云うか、お高くとまっていると云うか、製作費があまりなかった頃のアイデアで勝負する実験的な姿勢が欠如してしまっているのが悲しい。新作の『コスモポリタン』はどうなんだろう? おそらくもうこの『ザ・ブルード/怒りのメタファー』で得た背中がゾクゾクするような感覚を新作で味わうことは今後一切ないんだろうなあ。もちろん観には行くけど。

ザ・ブルード/怒りのメタファー

初期のクローネンバーグの映画に見られたカナダの色のない風景も好きだ。そこにくっきりと浮かび上がる子供たちの原色の衣装が不気味で怖い!

→デヴィッド・クローネンバーグ→オリヴァー・リード→カナダ/1979→新宿武蔵野館→★★★★

テッド

監督:セス・マクファーレン
出演:マーク・ウォールバーグ、ミラ・キュニス、ジョエル・マクヘイル、ジョヴァンニ・リビシ、エイディン・ミンクス、パトリック・ウォーバートン、マット・ウォルシュ、ジェシカ・バース、ビル・スミトロヴィッチ、ラルフ・ガーマン、アレックス・ボースタイン、ローラ・ヴァンダーヴォート、サム・J・ジョーンズ、ノラ・ジョーンズ、トム・スケリット、(声)セス・マクファーレン
原題:Ted
制作:アメリカ/2012
URL:http://ted-movie.jp/
場所:新宿ミラノ2

今年のアカデミー賞授賞式の司会も務めたセス・マクファーレンは、アニメーターでもあり、コメディアンでもあり、俳優でもあり、監督兼脚本家でもありと、とても多才な人物なんだけど、その芸風が、お下劣、シニカル、セレブ芸能人いじりと、ちょっと日本人にはわかりづらいコメディ作品を作っている。なのにこの『テッド』はもう3ヶ月以上もロングランしている。なぜなんだろう? そんなに面白い映画なのか? と観てみたら、いやいや、予想通りの、お下劣、シニカル、セレブ芸能人いじりの映画だった。例えば、映画『フラッシュゴードン』をいじり倒している部分なんて誰が面白がってるんだろう? トム・スケリットをいじってるのも誰が笑うんだろう? 他にもビミョーなラインの有名人を大勢いじっている。ティファニーとかケイティ・ペリーとかベリンダ・カーライルとかブランドン・ラウスとかテイラー・ロートナーとか。案の定、誰もそんなところでは笑っていなかった。なのにヒットしている。不思議だ。

町山智浩が監修している字幕もきびしかった。日本人にわかるようにと「ガチャピン」とか「星一徹」とか「くまモン」に置き換えていたリと苦労が見えるけど、それがとても不自然でまったく笑えない。それだったら、そのまま固有名詞をカタカナ表記したほうが良かった。実際には、

「くまモンの方がいい!」→「テディ・ラクスピンの方がいい」
「ガチャピンよりすごいだろ」→「『パトカー・アダム30』みたいだろ」
「誰かが星一徹にならなきゃ」→「誰かがジョーン・クロフォードにならなきゃ」

らしい。(http://patrikeiji.blog37.fc2.com/blog-entry-450.htmlより)それにしてもジョーン・クロフォードが星一徹とは!

元ネタがわかれば笑える映画だとはおもうけど、元ネタがわからなくてもヒットしているってのが面白い。もしかすると日本語吹き替え版がヒットを牽引しているんだろうか。

→セス・マクファーレン→マーク・ウォールバーグ→アメリカ/2012→新宿ミラノ2→★★★

オズ はじまりの戦い

監督:サム・ライミ
出演:ジェームズ・フランコ、ミラ・キュニス、レイチェル・ワイズ、ミシェル・ウィリアムズ、ザック・ブラフ、ジョーイ・キング、アビゲイル・スペンサー、ビル・コッブス、トニー・コックス、テッド・ライミ、ブルース・キャンベル
原題:Oz: The Great and Powerful
制作:アメリカ/2013
URL:http://www.disney.co.jp/movies/oz-hajimari/home.html
場所:新宿ミラノ1

ライマン・フランク・ボームによって書かれた「オズの魔法使い」の前日譚を脚本家のミッチェル・カプナーが新たに書いて、それをサム・ライミが映画化した作品。

1939年にヴィクター・フレミングによって映画化された『オズの魔法使い』があまりにも決定的な映画として、70年後の今をもって誰しもがDVDで楽しむ映画なので、その前日譚を第三者が勝手に映画として形作って、それが目も当てられない映画だとしたらとても残念だなあとおもいつつ映画館に足を運んだのだけれど、『オズの魔法使い』の世界観はそれなりにきちんと継承されていて悪い出来ではなかった。ただ、主人公のオズを演じているジェームズ・フランコの演技が緩くて、女にだらしないダメ男のイメージが徹底できてなくて、最後までただの人の良いにいちゃんにしか見えなかったのが残念だった。これでは、結局はダメ男のままだったのか? それとも自分のダメさ加減を反省して世界に名を成す人間として変貌できるのか? のクライマックスがまったく盛り上がらなくて、オズの内面的な紆余曲折もあまりにも中途半端のままに終わってしまった。

他の役者では、ミシェル・ウィリアムズの「南の魔女グリンダ」は派手さがなくて地味すぎた。でも、ミラ・キュニスの「西の魔女セオドラ」は素晴らしかった。『ブラック・スワン』の時と同じような二面性が彼女の魅力だ。ブルース・キャンベルがチョイ役で出ているのは嬉しかった。

この映画は3D版も用意されていて、それを意識したカットも多数あったので、IMAX3Dで観てみたかった気もする。そうすれば、30%くらいは面白さがアップしていただろうに。

→サム・ライミ→ジェームズ・フランコ→アメリカ/2013→新宿ミラノ1→★★☆

クラウド アトラス

監督:ラナ・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ
出演:ジム・スタージェス、ベン・ウィショー、ハル・ベリー、ジム・ブロードベント、ペ・ドゥナ、トム・ハンクス、ヒューゴ・ウィーヴィング、ヒュー・グラント、スーザン・サランドン、ジョウ・シュン、キース・デイヴィッド、デイヴィッド・ギヤスィ
原題:Cloud Atlas
制作:アメリカ/2012
URL:http://wwws.warnerbros.co.jp/cloudatlas/index.html
場所:ワーナー・マイカル・シネマズ板橋

19世紀から文明崩壊後までの異なる六つの時代を平行して描くこの映画も群像劇に分類することができるとおもうので、すべてのストーリーラインを把握するのに苦労するのだけれども、それでも好きなタイプの映画なので3時間あまりの長尺を飽きずに楽しんでしまった。なかでも面白かったのは、同じ俳優が時代を渡って違う人物を演じている部分だった。特殊メイクやVFXを駆使して、性別や人種の垣根も越えて、なりふりかまわずにいろいろな人物になりきっているのは笑ってしまうほどだった。特に、ヒューゴ・ウィーヴィングの「ノークス看護婦」はただの女装中年だ! ペ・ドゥナの白人女性「ティルダ」は鼻が東洋人だ!

映画の中で平行して描かれる六つの時代は、それぞれ細い糸で繋がっている。それを整理すると、

“アダム・ユーイングの太平洋航海誌”(1849)→“ゼデルゲムからの手紙”(1936)
★1936年に於て、ロバート・フロビッシャー(ベン・ウィショー)は、雇われた作曲家(ジム・ブロードベント)の本棚から「アダム・ユーイングの太平洋航海誌」を見つける。

“ゼデルゲムからの手紙”(1936)→“半減期-ルイサ・レイ 最初の事件”(1973)
★二つの時代ともにルーファス・シックススミス(ジェームズ・ダーシー)が登場。

“半減期-ルイサ・レイ 最初の事件”(1973)→“ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練”(2012)
★1973年に於て、編集者であるティモシー・キャヴェンディッシュ(ジム・ブロードベント)は、ジャーナリストのルイサ・レイ(ハル・ベリー)が調査している原子力発電所の告発文を郵便で受け取る。

“ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練”(2012)→“ソンミ451のオリゾン”(2144)
★2144年に於て、クローンのソンミ 451(ペ・ドゥナ)は、映画となった『ティモシー・キャヴェンディッシュのおぞましき試練』を見る。

“ソンミ451のオリゾン”(2144)→“ソルーシャの渡しとその後のすべて” (2321)
★2321年に於て、ソンミ 451(ペ・ドゥナ)は神として崇められている。

と、あまりにも無理矢理な繋げ方で、このことを持ってすべての事象が繋がっているイメージを持たせるのには無理があるのだけれども、でもまあそこまで深い映画でもないので、俳優の大仮装大会のことも含めて、笑って楽しむ映画として及第点だとおもう。

→ラナ・ウォシャウスキー、アンディ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ→トム・ハンクス→アメリカ/2012→ワーナー・マイカル・シネマズ板橋→★★★☆