山形国際ドキュメンタリー映画祭。最終日に観た映画は以下の通り。

●クロエ・アンゲノー、ガスパル・スリタ監督『いつもそこにあるもの』(Always and Again、フランス、2015)
日本のドキュメンタリー映画は、ナレーションやテロップが盛りだくさんのものが多い。いたるところに説明書きや案内板がある日本の社会と同じようにいたれりつくせりだ。それに対して外国のドキュメンタリー映画は、いきなりポーンと放り出されて、ほったらかしにされる場合が多い。この『いつもそこにあるもの』も、場所や人物については何の説明もない。映し出される映像だけから、どこか外国の、切通しに埋め込まれているような不思議な佇まいのアパートの一室であることがわかる。言葉はイタリア語のようだ。いろんな世代の女性が次々と出てくる。おそらく三世代の家族だろう。男がいないのはどうしてだろう。いや待てよ、部屋の片隅のベッドに寝ている男の人がいる。ずっと寝たきりだ。パトリッツィアって誰だ? ああ、婆さんか。孫がロマーナで、エンツォって孫もいるみたいだぞ。エンツォは刑務所にいるらしい。もう一人の娘はいったい誰だ? と、推測して行くしかない。でも、説明過多のドキュメンタリー映画よりも、断然このタイプの映画の方が好きだ。

●杜海濱(ドゥ・ハイビン)監督『青年★趙(チャオ)』(A Young Patriot、中国、フランス、アメリカ、2015)
子供のころに受けた愛国主義教育によって植え付けられたナショナリズムも、大学などの高等教育を受けて内省できるような人間に成長できれば自ずと多様的な考えがあることを理解できるようになり、単純なナショナリズムへの疑問が芽生えて行くようになることを実証している映画だった。ニュースから流れる「中国」と、山形で観る中国のドキュメンタリーに出てくる「中国」とはいつも重ならない。

以上、今回の山形国際ドキュメンタリー映画祭では11本の映画を観た。刺激的な作品は少なかったけど、自分の観た映画にはどの映画もその国の下層に位置するの人間が出てきたので、さしずめ下層社会映画祭になってしまった。その中でもキム・ロンジノット監督の『ドリームキャッチャー』が一番面白かった。

山形国際ドキュメンタリー映画祭。今日観た映画は以下の通り。

●キム・ロンジノット監督『ドリームキャッチャー』(Dreamcatcher、イギリス、2015)
アメリカのシカゴで性暴力の被害女性たちを支援している団体「ドリームキャッチャー・ファウンデーション」を主宰しているブレンダを追いかける映画。フレデリック・ワイズマンの『パブリック・ハウジング』や『DV』を彷彿とさせる映画で、自分の生い立ちと似たような境遇の女性たちへの丁寧なサポートによって、次第に彼女たちからの信頼を得て行く様子がしっかりと記録されている。女性監督にしか撮ることのできない、女性に対するきめ細やかな素晴らしい映画だった。

●アッバース・ファーディル監督『祖国 ― イラク零年』(Homeland (Iraq Year Zero)、イラク、フランス、2015)
334分と言う長い映画だけど、アメリカを中心とした多国籍軍が進攻する前と後のバグダッドが比較できるところにその長さの意味があって、フセインやブッシュの所為だけにはできないイラクの複雑さがその長さのなかに見て取れるところもとても良かった。
進攻前を描く第一部で、この映画の中心に絶えずいる12歳の少年のハイダルに対して、さらりと、「ハイダルはアメリカ軍侵攻後に亡くなる」とテロップが出て、その小さなテロップを5時間半の最後まで引きずって観なければならないところも辛い映画。

山形国際ドキュメンタリー映画祭。今日観た映画は以下の通り。

●アレクサンダー・ナナウ監督『トトと二人の姉』(Toto and His Sisters、ルーマニア、2014)
ロマ人はルーマニア社会でも最下層に位置するらしく、仕事の無いロマの若い奴らは四六時中クスリばっかりを射っている。それをそのままカメラに収めている部分に引っかかるところがあるけど、それが現実だとしたらやはりそのままカメラに収めるべきだともおもうし。最下層から抜け出すには周りのサポートが大切なのに、刑務所から出所したばかりの母親のダメさ加減が見えて映画が終わるところに絶望感が。トトがヒップホップダンスの才能で最下層から抜け出せることを願うばかり。

●イェレヴァント・ジャニキアン、アンジェラ・リッチ・ルッキ監督『東洋のイメージ ― 野蛮なるツーリズム』(2001)
●マノエル・ド・オリヴェイラ監督『ニース ― ジャン・ヴィゴについて』(1983)
二つともインスタレーションに近くて、椅子に縛られて観るものではなかった。もっと自由に観るべき映画だった。

●ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』(Horse Money、ポルトガル、2014)
ポルトガルのカーネーション革命のこととか、元ポルトガル領だったカーボベルデのこととか、ポルトガル関連の知識が乏しいとなかなか理解することの難しい映画だった。不安を駆り立てるような映像や音響効果だけはしっかりと伝わって来たけど。

山形国際ドキュメンタリー映画祭に2日目から参加。これで4回連続なので、8年間通い詰めていることになる。今日観た映画は以下の通り。

●小林茂監督『風の波紋』(日本、2015)
知っている人が出ていると云うので駆けつけて観てみたけれど、これがとてもよく出来た映画だった。それは知り合いが画面に登場しているだけの面白さなのか、それとも映画自体がしっかりと作り込まれた面白さなのか、客観性が損なわれてしまっている時点でさっぱりわからない。東京から新潟の松之山に移住して、いつの間にかそんなにやりたいとはおもっていなかった農業をやっている木暮さんの人間としての面白さは充分に伝わっているとはおもうけど。

●マリア・アウグスタ・ラモス監督『6月の取引』(Future June、ブラジル、2015)
2014年6月のサッカー・ワールドカップ開催のころのサンパウロに住む主に4人(証券会社の人、地下鉄ストライキの人、自動車工場の人、バイク便の人)の人物を追いかけたドキュメンタリー。冒頭のクルマで渋滞する道路(なんとなく首都高に見える)やラッシュ時の満員電車を映し出すシーンから、あれ?ここはもしかして東京? とおもわせるほど、BRICsともてはやされて好調だったブラジル経済。それが2014年には次第に行き詰まって来て、ワールドカップを開催する金があるくらいなら公共サービスを充実させろ! のデモも起こっているサンパウロは、2020年のオリンピック開催を控えている東京とシンクロする部分も多くて、ブラジルだろうと日本だろうと抱えている問題は共通するんだなあとこのドキュメンタリーを観ておもう。でも、地下鉄のストライキとか、ブラジル代表の試合の時には工場ラインを休憩にしようとする労使交渉が出来るブラジルのほうが、日本よりも健全な社会を育んでいるんじゃないかと羨ましくなる。やっぱり日本は変だ。

●三上智恵監督『戦場(いくさば)ぬ止(とぅどぅ)み』(日本、2015)
辺野古基地反対のメッセージが大前提にあるので、そこに身を委ねて見れば素晴らしい映画。でも、登場する人物の背景を掘り下げて行く描写は、また別の話、だったような気もする。もし、沖縄の歴史をも加味した上でそれぞれの人物像を入れるのであれば、もうちょっと全体的な構成を整理できたら良かったのになあとはおもう。

キングスマン

監督:マシュー・ヴォーン
出演:コリン・ファース、タロン・エガートン、マイケル・ケイン、マーク・ストロング、サミュエル・L・ジャクソン、ソフィア・ブテラ、マーク・ハミル、ソフィー・クックソン、エドワード・ホルクロフト、サマンサ・ウォーマック、ジェフ・ベル、ビョルン・フローバルグ、ハンナ・アルストロム、ジャック・ダベンポート
原題:Kingsman: The Secret Service
制作:イギリス/2014
URL:http://kingsman-movie.jp
場所:109シネマズ菖蒲

ショーン・コネリーが007を演っていたころのジェームズ・ボンドの映画には、ハリウッド映画の影響を受けながらどこかイギリスらしさが残っていて、その紳士を気取っていながら人間の底が知れてしまっているような陳腐さがモンティ・パイソン風に漂っているところが大好きだった。

ところが最近のダニエル・クレイグの007には、そんなイギリスらしさが、うっすらと残ってはいるものの、だいぶ少なくなってしまって、ハリウッドのアクション映画となんら変わりがなくなってしまっているところがとても残念だった。

マシュー・ヴォーンは、そんな現状の007を憂いつつ、昔のショーン・コネリーの007にオマージュを捧げる意味でこの『キングスマン』を作ったに違いない。それはこの映画の中に出てくる「昔の悪役は誇大妄想狂だった」と云うセリフにもはっきりと現れていた。ダニエル・クレイグの007に出てくる悪役には馬鹿げたところがまったくない。そんなイギリス的でないものを007と呼ぶには無理がある、とマシュー・ヴォーンはこの映画で語っているようだった。

また、ケン・ローチの映画などを見ればよくわかるように、イギリスには今もって階級制度が存在していることがよくわかる。その最下層の「Working Class(労働者階級)」に属している若い奴を主人公に持ってきているところもイギリス的で、そいつを『マイ・フェア・レディ』のように紳士に育てて行くところをスパイ映画に加味しているところも楽しかった。

プレミアリーグ好きとしては、エグジーの部屋にミルウォールFCのグッズがあるところに大笑いしてしまった。ああ、やっぱりミルウォールのファンは最下層だ!と。敵対するウェストハムのファン(オレだ!)も似たようなものだろうけど。

→マシュー・ヴォーン→コリン・ファース→イギリス/2014→109シネマズ菖蒲→★★★☆

アントマン

監督:ペイトン・リード
出演:ポール・ラッド、エヴァンジェリン・リリー、コリー・ストール、ボビー・カナヴェイル、マイケル・ペーニャ、ティップ・”T.I.”・ハリス、ウッド・ハリス、ジュディ・グリア、デヴィッド・ダストマルチャン、マイケル・ダグラス
原題:Ant-Man
制作:アメリカ/2015
URL:http://marvel.disney.co.jp/movie/antman.html
場所:109シネマズ木場

今までの「マーベル・シネマティック・ユニバース」の作品をまとめると、

■フェイズ1
『アイアンマン』
『インクレディブル・ハルク』
『アイアンマン2』
『マイティ・ソー』
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』
『アベンジャーズ』

■フェイズ2
『アイアンマン3』
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』
『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』
『アントマン』

になるらしい。

で、次はフェイズ3の『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』になるので、この『アントマン』がフェイズ2の最後の作品となるらしい。

作品の出来としては、『アベンジャーズ』と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が出色で、ほかの作品は「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中の一つだから見ていると云う感じかなあ。今回の『アントマン』も良くはできているとおもうけど、やっぱりエドガー・ライト版で見たかった。エドガー・ライト版なら、もうちょっとシリアスとコメディのバランスが良かったはずだ。ペイトン・リード版ではあまりにもコメディが強すぎるので、このまま「マーベル・シネマティック・ユニバース」の一つとして組み込まれるのにはだいぶ無理があるようにもおもえてしまう。はたして『アントマン』が『アベンジャーズ』に加わることはあるのか? 『アントマン』だけでなく、ルイス(マイケル・ペーニャ)も『アベンジャーズ』の世界に連れていけるのか!

→ペイトン・リード→ポール・ラッド→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★

黒衣の刺客

監督:ホウ・シャオシェン
出演:スー・チー、チャン・チェン、シュウ・ファンイー、ニッキー・シエ、妻夫木聡、忽那汐里
原題:聶影娘 The Assassin
制作:台湾、中国、香港、フランス/2015
URL:http://kokui-movie.com
場所:渋谷TOEI

ホウ・シャオシェンの映画を久しぶりに観た。それもホウ・シャオシェンの初となる武侠時代劇だった。

唐の時代も末期になると、王朝の力も弱まって、辺境防衛のために置かれた藩鎮(はんちん)が力を持ち始め、河朔地区(現在の河北省を中心とする地域)にある幽州、成徳、魏博の河朔三鎮(かさくさんちん)は次第に地方勢力として独立し、唐王朝の勢力が及ばなくなった。その河朔三鎮の一つ魏博(ウェイボー)の節度使(藩鎮の長)の田季安(ティエン・ジィアン)は朝廷と繋がりのある元氏(ユェンシ)を嫁に迎え、許嫁であった従姉妹の隠娘(インニャン)は女導士、嘉信(ジャーシン)に預けられて暗殺者としての指南を受けることになる。その隠娘が久しぶりに親元に戻ってきて…。

と云うストーリーなんだけど、映画の中では細かい説明がさっぱりない。だから、一生懸命に画面から読み取らなければならなかった。そこが面白いとも云えるけど、人によってはわけがわからなくなってストーリーを追いかけることをあきらめてしまうかもしれない。

1から10まで説明してしまう映画はまったくつまらない。かと云って、まったく説明がないとこれもまたつまらない。コンシューマーゲームのクリアできるか、できないかのバランスと同じように、シナリオの微妙なさじ加減が映画をすこぶる面白くさせる。

この『黒衣の刺客』はまったく説明が足りなかった。人物の関係がまったく分からなかった。なので、あとからネット検索を駆使して、一生懸命に解明を努めた。そうしたら、以下のような相関図に行き当たった。

黒衣の刺客

この相関図の中で驚くべき事実は、田季安(ティエン・ジィアン)の母親、嘉誠公主が隠娘(インニャン)を育てた女導士と双子だったと云うことだ。映画の中で女導士だったとおもっていたシーンのいくつかは、嘉誠公主だったのかもしれない。それから、田季安の正妻とその妾をまったく混同していた。だから、あの白ヒゲの魔術師みたいな空空兒は隠娘側の人間で、正妻を殺そうとしているとおもい込んでしまったのだ。(正妻は田季安以外の男の子供を孕んでいると勝手に頭の中にストーリーを作り上げていた!)実際は正妻側の人間で、妾を殺そうと暗躍していのだ。そうだとすれば、あの仮面の暗殺者も空空兒の使徒と云うのも納得できる。

うーん、まだどこか間違っているかもしれないけど、なんとなくストーリーが見えて来た気がする。もう一度見れば、もっとはっきりするとはおもうけど。

→ホウ・シャオシェン→スー・チー→台湾、中国、香港、フランス/2015→渋谷TOEI→★★★☆

ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール

監督:スチュアート・マードック
出演:エミリー・ブラウニング、オリー・アレクサンデル、ハンナ・マリー、ピエール・ブーランジェ、コラ・ビセット
原題:God Help the Girl
制作:イギリス/2014
URL:http://godhelpthegirl.club
場所:新宿武蔵野館

スコットランドのポップ・バンド「ベル・アンド・セバスチャン」のスチュアート・マードックが初めてメガホンを取った映画。

気に入った音楽を追いかけることが少なくなってしまったので「ベル・アンド・セバスチャン」と云う名のバンドをまったく知らなかったのだけれど、スコットランド発の、驚くほどポップな音楽なので、ああ、これは自分の好きなタイプの音楽だなあとYouTubeを追いかけている。(買えよ、ってはなしなんだけど)

映画もとてもポップで可愛いらしい映画になっていて、まるで昔のスウィング・アウト・シスターのビデオクリップを見ているようだった。でもストーリーのベースには「病」があって、明るいだけの映画にはなっていないところがスコットランドらしいと云うか、何がスコットランドらしいのかわかっているわけではないけど、自分のスコットランドのイメージにぴったりだった。

新宿武蔵野館でこの『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』の次にやる『ベル&セバスチャン』と言う犬の映画はいったい何だ!と思っていたら、その物語がバンドの名前の由来で、さらにそれは日本のアニメの「名犬ジョリィ」の原作で、原作者はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の『情婦マノン』に出ていた女優セシル・オーブリーだって云う芋づる式驚きでびっくり。

→スチュアート・マードック→エミリー・ブラウニング→イギリス/2014→新宿武蔵野館→★★★☆

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション

監督:クリストファー・マッカリー
出演:トム・クルーズ、ジェレミー・レナー、サイモン・ペグ、レベッカ・ファーガソン、ヴィング・レイムス、ショーン・ハリス、アレック・ボールドウィン、サイモン・マクバーニー、チャン・チンチュー、トム・ホランダー、ナイジェル・バーバー
原題:Mission: Impossible – Rogue Nation
制作:アメリカ/2015
URL:http://www.missionimpossiblejp.jp
場所:109シネマズ木場

「ミッション:インポッシブル」シリーズも5作目となって、別にそんなに「ミッション:インポッシブル」のファンでもないのに『ミッション:インポッシブル3』以外の4作はすべて映画館で観ているので、もしかしたら好きなのかもしれない。でもJ・J・エイブラムスが肌に合わなのはわかっているので「3」だけは観なかったのです。

見ていない「3」が面白い可能性が残っている(そんなわけがない!)けど、それ以外では今回の「5」が一番面白かった。肥えた目から見ればどんなアクションを持って来ても驚くことはもうないだろうとおもっていたオートバイのチェイスシーンにも「うわっ!」と声を上げる始末だし、サイモン・ペグを起用した意味を最大限に発揮して大いに笑えるし、ヒッチコック映画をも彷彿とさせる個性的な顔の悪役も登場するし、トム・クルーズが離陸する飛行機にぶら下がるシーンや水の中でのもう息が続かない段階での一か八かのギャンブルをやらなきゃならないシーンなどなど、とことん荒唐無稽を突き詰めているところにはとても好感が持てた。

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の脚本も書いていたクリストファー・マッカリーは、今までの映画とはちょっと違ったひねったことをするところが素晴らしい。今後も注目しようとおもう。

→クリストファー・マッカリー→トム・クルーズ→アメリカ/2015→109シネマズ木場→★★★☆

野火

監督:塚本晋也
出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作、中村優子、山本浩司、上高貴宏、入江庸仁、辻岡正人、山内まも留
制作:海獣シアター/2014
URL:http://nobi-movie.com
場所:ユーロスペース

今回の塚本晋也版を見てから、市川崑版を見直した。

二つの映画の印象を大きく異にさせているのは、視覚的、音響的に訴えるリアルでグロテスクな描写が塚本晋也版には多いことも然る事ながら、「永松」を演じているミッキー・カーチス(市川崑版)と森優作(塚本晋也版)とのキャラクター設定の違いもとても大きいとおもう。

ミッキー・カーチスの「永松」は飄々とした感じの世渡りの上手そうな人物として描かれていて、そこには人間の持つ愛らしさも一緒に見えて、殺し合って、飢えて、共食いするような行動にさえ、どこか小動物的な愛おしささえ感じてしまう。市川崑版『野火』の脚本を書いた和田夏十は、餓死に直面した人間が人肉を喰う、と云う重いテーマを、このミッキー・カーチスの「永松」のキャラクターで持って中和させて、極限的状況に追いつめられた人間が取る行動のバカらしさ、間抜けさ、でも憎めない愛らしさを最大限見つめ直した映画に仕立て上げていたような気がする。

森優作の「永松」にはそこまで人間としての面白さは感じられなくて、だからますます残虐さが際立っていて、映画の最初から最後まで人間の気持ち悪さしか感じることが出来なかった。もちろん塚本晋也はそこにポイントを置いて描いていて、だからそのどうしようもなく過酷、苛烈、醜悪な体験をすることができるこそがこの映画のすべてであって、市川崑版にくらべるととても人間を突き放した辛辣な映画にでき上がっている。

原作を同じにしていながらまったくタイプの違う映画だった。だからどちらが良い、悪いとは決めつけることがまったくできない。でも、個人的な好みから云えばやっぱり和田夏十の描いた市川崑版かなあ。

→塚本晋也→塚本晋也→海獣シアター/2014→ユーロスペース→★★★☆